初入院、初手術、初点滴―、初めて尽くしの経験をするはめになった鎖骨骨折(ちなみに初骨折)。
それは2004年4月、雑誌取材のために訪れた沖縄での出来事でした。
当初は「沖縄本島一周、400Km」を走破せんとして沖縄入りしたのですが、残念ながらこの時は断念。
そして治療、ギプスをしての生活を経た同年11月、機会が訪れました。
同じく雑誌の取材で沖縄上陸。果たして雪辱を果たすことはできたのでしょうか?そのすべてがわかる、LSD@沖縄、2004年4月と11月の記録です。
4月25日
朝9時台、清志郎にとっては多分に早起きといえる時間の飛行機で沖縄に向かいます。機内で行なわれるビンゴゲームで清志郎は見事ビンゴ!やはり只者ではありません。
沖縄、那覇に到着後、さっそくサイクリングの準備です。那覇市内より、海沿いの国道を走る、おおよそ70Kmのコース。走り始めのしばらくは車の通行量も多い街中を行きますが、1時間もすると左手に海、右手に草原、沖縄らしいと思える風景が広がってきます。その途中、読谷村にある米軍の通信施設、通称「象の檻」の前で小休止。ここでポーズを請われながら写真撮影です。さらに読谷飛行場を回り、ふたたび走り出し、夕暮れを迎える頃、本日のゴールである名護市に到着。宿に入り、食事の後は、この旅に同行してくれている藤下トレーナーのマッサージとアイシングを受けて就寝。
4月26日
本日走行予定のコースは、名護をスタート、本島北部の海岸沿いを巡ってふたたび名護に戻るという、総距離130Kmのルートです。景色の美しさとはうらはらに、アップダウンの多い厳しいコース。加えて垂れこめる雲と強い風という本日の天候。そんな状況になにか予感などを覚えるわけもなく、スタートです。
昨日に引き続き国道を北上し、いよいよ本島最北端の辺戸岬へ、という下り坂に入ります。清志郎が後日語ったところによれば「どんどん傾斜がきつくなっているような坂道」。思いがけず自転車の速度があがったところで、行く手は右カーブ。「もうダメだと思って、転ぼうと。全然止まれないし、曲がれないんだよ」―その言葉どおり、清志郎を乗せた自転車は道路の縁石、その向こうの歩道も乗り越えて、先の草むらに倒れこみました。
ただ転んだだけで、少し休憩すればまた乗れるだろう、そんな清志郎本人の思惑は外れ、藤下トレーナーの触診の結果、鎖骨の骨折を確認。そのまま向かった病院で「全治2ヶ月」の診断を言い渡されます。もはやツーリングどころではありません。
4月27日
予定を繰り上げての帰京。緊急入院、そして手術―。
各所より驚き、心配、激励の声をいただいた出来事でしたが、清志郎本人は手術から、その後しばらく身に着けていたギプスの不自由さに至るまでをも興味深く捉えていたようです。自宅静養期間中に、不自由しつつあらゆる楽器を全て自分で演奏して録音をしてみたり、その間に出演したTV番組、ドラマ『もっと恋セヨ乙女』や『探偵!ナイトスクープ』でご一緒した方たちのサインをギプスに集めてみたりと、初めての体験をそれなりに堪能していました。しかし、事故を経てもやまぬ自転車への愛着、「自転車に乗れない」ことがなにより堪えたようです。治療を続け、自転車乗りに復帰し、そして半年後、沖縄再上陸の機会がやってきました。
11月15日
翌日からのサイクリングに備えて前乗り。那覇市内のホテルに宿泊。
11月16日
10時、ホテルを出発。清志郎は現地のコーディネーター池上氏に先導され、4月に走ったのと同じ国道を走ります。向かい風をものともせず、後続のスタッフが乗った車を振り切るスピード。結局見失い、しばらくして追いついてみると、清志郎+池上氏の2人組から1人増えて3人組になっています。そのまま1時間ほど走ったところで、海沿いの公園で休憩、増えた1人に話を聞いてみれば、昨日まで開催されていた「ツール・ド・おきなわ」の参加者だそうです。本日は車で帰りの移動をしていたところ、自転車で走る清志郎を発見、慌てて自転車の用意をして追いかけてきたとのことでした。その後、昼食を取る場所まで共に走り、記念に写真撮影とサインをしてお別れします。
午後、一日遅れて沖縄入りした三宅伸治さん、藤下トレーナーと合流。ここからは三宅さんも一緒に走る予定だったのですが、ここに来るまでの行程が過酷だったそうで、今日のところは先にホテルに戻って休むとのこと。清志郎と池上氏と2人、再スタートを切りますが、しばらくすると、ここまで先を走ってきた池上氏の調子が落ちてきていることに気付きます。池上氏が乗る、ご自身で組んだという自転車はギヤの枚数が少なく、どうやらそのことが着実に疲労の蓄積となっていたようです。交替して先頭を走る清志郎からみるみる離されていきます。途中気付いた清志郎が立ち止まり、再度合流しますが、やはり辛そうなペダリング。しかし、カヤック無人島ツアーをガイドするほどのタフな池上氏、無事に次の休憩ポイントまでたどり着きます。ところが、今度は清志郎の体に異変が発生。膝の痛みを訴えています。急遽藤下トレーナーに連絡を取り、マッサージとアイシングの応急処置です。同行の三宅さんはやはり疲労困憊の体ですが、ここからホテルまでのあと20Kmの道のりを一緒に走ることになりました。清志郎の膝の様子を案じつつも、ホテルまでのツーリングはあっという間でした。
11月17日
本日のコースには4月のサイクリングでの終着点、清志郎が転倒した辺戸岬が含まれています。その現場を再訪するというのも、今回の旅の目的のひとつ。朝、強い風が吹くなかを清志郎、三宅さん、池上氏、現場マネージャーの4人でスタートします。辿るのは4月に走ったのとまったく同じコース。海からの強風にあおられながら漕ぎ進んでいくと、ようやく落車した場所が見えてきます。今回はもちろん無事に坂を下りきり、皆で現場検証らしきことを始めます。あらためて眺めてみると、右にカーブする下り坂、路面にはスピード防止の凹凸があり、しかも逆バーンというやっかいな道でした。
清志郎は乗り越えた縁石を示したり、倒れこんだ時の様子を自ら再現したりと感慨深げです。そしてすぐ先の岬で撮影。ここからは初めて走るコース、島の左側の海沿いを走っていきます。東側はよりアップダウンがきつく、万全ではない清志郎の膝により負担をかけているようです。下っては上り…で1時間ほど漕ぎ続け、休憩・撮影ポイントに到着。ここでは食事も取ります。そして残念ながら、今回は膝の不調が原因となり、前回に続くリタイヤ。単なる偶然に過ぎないのですが、いったい沖縄には何か潜んでいるのだろうか?などとついつい考えてしまいます。自転車で沖縄を気持ちよく走破するのは、またしばらく後のことになりそうです。